古代ローマにも遡る相互扶助と保険の起源から現代の保険会社の企業形態まで
研究のきっかけ
コのほけん!編集部
保険会社の歴史をご研究することになったきっかけはどのようなことだったのでしょうか。
木下なつき准教授
これは、もう本当に偶然的なものでした。大学院時代の専門がアメリカ経済史だったのですが、「アメリカ経済史」と言っても非常に幅広く、その中で研究が手薄だったアフリカ系アメリカ人の経済活動に着目しました。
特にアメリカでは、人種民族マイノリティの方が起業する事例が数多く見受けられたので、強い興味を持っていました。修士課程の頃から継続的に研究するための資料を幅広く探していましたが、なかなかまとまったものは見つからず、最終的に見つけられたのが、アフリカ系アメリカ人が創業した生命保険会社(※)の資料でした。生命保険会社というのは、歴史的に見ても資料館を持つ企業が存在する等、資料が潤沢にある業界ですので、研究できる分野なのではないかと感じ、研究を始めました。
研究を始めてみると、生命保険会社の歴史をひも解くことで、生命保険会社の経営や企業研究を通じて、単にお金や経営の話だけではなく、人と人との関わりや社会との関わりを明らかにすることができたので、「生命保険会社の経営史」を専門にできたことは非常に幸運だったと思います。
参考
※ゴールデンステイト・ミューチュアル・ライフ社、1925年にカリフォルニア州で創業され、2010年まで営業を続けたアフリカ系アフリカ人が創業した米国西部最大の生命保険会社。
2008年に木下准教授が訪問した、ロサンゼルスのゴールデンステイトミューチュアル生命保険会社の写真
保険を一言で表現すると?
木下なつき准教授
「繋がり」ではないでしょうか。
今の時代、「繋がり」というとパッと思い浮かぶのはSNS等が多いと思います。一方で、個人のリスク・コントロールであったり、個人のリスクマネジメントといった文脈で「繋がり」について考えてみると、まずは個人と国の「繋がり」の中で、国が提供する「社会保障制度」などが想像できるかと思います。
さらに、国でも家族でもないところでの「繋がり」によって、死のリスク―人間にとっての最大のリスクであり、誰もが経験することに対するリスク―を皆で協力しながらコントロールしてきた歴史的経緯から生み出されたのが保険であると考えています。
保険会社の企業形態の潮流は?
コのほけん!編集部
現在の保険会社にはどのような企業形態があるのでしょうか。
木下なつき准教授
保険業を営む会社には、「株式会社」「相互会社」「共済組合」という3つの形態があります。その中でも、現在の趨勢として急速に増加しているのは、「株式会社」です。
ニッセイ基礎研究所のデータ(※)によると、1985年、日本国内には23社の生命保険会社がありましたが、その内16社が「相互会社」の形態を取っており、「株式会社」は7社だけでした。
ところが、2014年になると国内生命保険会社43社の内、「相互会社」はたったの5社のみになってしまったのです。ご存知の方も多いかもしれませんが、国内に進出している外資系生命保険会社も大半が「株式会社」の形態です。
コのほけん!編集部
アメリカ経済史もご研究されてきたと伺いました。アメリカにおける企業形態については、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか。
木下なつき准教授
1840年代にまで遡るのですが、当時はアメリカの生命保険会社の大半も相互会社でしたが、現在は日本同様、「株式会社」の形態をとる保険会社が圧倒的に多くなっています。
例えば、2009年、アメリカの相互会社は136社ありましたが、株式会社は709社も存在しており、その差は圧倒的です。
相互扶助としての保険は古代ローマに起原
コのほけん!編集部
生命保険会社は当初、「相互会社」が多かったということですが、 これまでの歴史やそもそもの成り立ちについて教えていただけますでしょうか。
木下なつき准教授
生命保険会社の成り立ちについては、いくつかのルーツがあると考えているのですが、一番古い形態の一つは、互助組合というものです。
互助組合にも様々あるのですが、例えば西洋史の古代ローマの場合、職業別の互助組合が一般的でした。
最古の起源の一つは古代ローマ
その互助組合の起源は、古代ローマ時代まで遡ります。
古代ローマでは既に俳優など様々な職業もあり、職業別の組合を組織していました。
組合を組織した目的には外部に対しての職業団体としてのステータスを守るためといったこともあるかもしれませんが、それだけでなく、組合員が亡くなった時に組合に所属しているメンバーがそれぞれいくらか出し合い、遺された家族を少額でも金銭的に援助したいという、相互扶助の精神に則った、今で言うところの「死亡保険金」を用意するという目的もありました。
こうした互助組合の仕組みはそれ以降も脈々と受け継がれており、アメリカでも、信仰する宗教や人種民族集団を基盤とした互助組合の組織が創られてきました。アメリカと言えば、移民の国ですから、各民族集団や信仰する宗教集団で、古代ローマ時代と同様に相互扶助、つまり会員の誰かが亡くなった時に遺された家族をサポートするためにお金を出し、互いに助け合うということを教会や移民の組織や結社で行なっていたのです。未だに残っているものもあるのですよ。
近世末期~近代へ
さて、近代に入る少し前から、イギリスにおいて科学革命が起こります。この科学革命の流れの中で、近代的な生命保険会社を興す風潮を生む基盤も作られていきます。
イギリスでは中世から成長しつつあった大都市ロンドンでの経済活動が非常に活発になっていきました。それに伴い、現代で言うところの都市の様々な社会問題が現れてきます。衛生環境が未整備のまま、人口が密集すると、これまでも高かった子供を中心とした死亡率が高くなる、また都市自体の構造も危険なものでした。一度災害が起きると損害を止める手立てはありません。そうした状況の中、1665年に大流行したのが、ペスト(黒死病)です。死亡率が非常に高く、ロンドンの人口の4分の1が亡くなったと言われています。その翌年には、「ロンドン大火」と呼ばれる大火災が起こります。ウェストミンスター大聖堂などロンドンの主要建造物も含め、市の大半が焼失するという甚大な被害をもたらしました。
こうした災害に見舞われた結果、人の死や後の損害保険に通ずる火災のような災害に対するリスクというものへの意識が高まっていきました。
同時期、既に進行していた科学革命の流れの中で数理的な基礎に基づいた近代的な生命保険会社形成の基盤が作られていてきます。
イギリスでは、ペストが起きた時から死亡記録というものをしっかり取っていたのです。ロンドン当局が記録していた死亡統計などを基にして、死亡経験に基づいた「料率方式」というものを使った近代的な生命保険会社、世界最古の生命保険会社が興りました。
それが、1762年に設立されたエクイタブル・ソサイエティという会社です。
イギリスはその後も経済成長を続け、それと共に保険会社も増えました。特に、19世紀前半に生命保険事業は急速に拡大していきます。アメリカではイギリスから少し遅れた19世紀半ばに生命保険会社が急速に増えていきました。
当時の保険会社は事業会社と異なり、契約者を集めることができれば、現代よりもはるかに簡単に新設できました。この頃は事業を興すための資金が潤沢ではなかったことや株式市場が未発達だったこともあり、そういった意味で、契約者を集め、企業形態としては相互会社として、生命保険会社がつくられていきました。そのため、保険会社がどんどん出てきては次々に消滅していく、という状況となりました。
他方、歴史的に受け継がれてきた相互扶助の伝統も残っており、それが近代的な生命保険会社にも受け継がれていきます。1854年、イギリスにプルーデンシャル(英:Prudential plc、URL:https://www.prudentialplc.com/)という企業が誕生するのです。プルーデンシャルは簡易保険、月払いで少額の保険料を支払うことができる労働者向けの保険販売を始めました。これを機に、それまで資産のある人たち向けに販売していた生命保険会社に加え、低所得者を含め、多くの人たちが加入できる保険を販売する企業が出てきました。
アメリカでも1870年代に、イギリスと同様にメトロポリタン・ライフやプルデンシャル生命(英:Prudential Financial, Inc.、URL:https://www.prudential.com/)といった簡易生命保険を販売する生命保険会社が出現し、当時新移民の大量流入により、人口が急激に拡大するアメリカ社会の中で様々なタイプの人々のリスクをカバーしていく形で生命保険が幅広く普及していきました。
しかしながら、人の死に対する事をビジネスにするということに抵抗のある人も少なからずおり、次々と生命保険会社が増え、勢力を拡大したことへの反動として、昔からの相互扶助をルーツとした共済保険組合というものが増えていきます。
世紀転換期にかけて共済保険組合と生命保険会社が熾烈な競争を繰り広げた結果、最終的には共済組合は淘汰され(1910年代後半)、その後はいわゆる現代の一般的な生命保険会社が拡大し、先進国の国民に現代的な生命保険というものが広く浸透していくことになります。
戦後~現代
第二次世界大戦後、先進国は経済成長を続け、国民の生活は豊かになると共に、生命保険業界もさらに拡大していくのですが、1970年代には先進国経済も低成長期に入ります。
そこから先進国を中心に世界経済の在り方が変わっていきました。
1980年代、モノづくりを基盤とする産業資本主義からグローバルな金融資本主義を主体とする流れ―金が金を生む経済―に変わっていきます。その流れは生命保険会社へも波及しました。
規制緩和が進み、多様な金融商品を生命保険会社も提供できるようになりました。また、M&Aも簡単にできるようになりましたので、よりフレキシブルに変わり続ける経済や社会のニーズに対応することが重要になってきました。
こうした中で、保険業界において株式会社形態の生命保険会社の増加や相互会社の株式会社化が進んでいったのです。
ポイント
- 古代ローマ時代に「互助組合」が成立し、遺された家族を金銭的にサポートする仕組みができた。
- 科学革命がおこる中、ペストの大流行などを背景に、1762年に世界で最初の生命保険会社が興った。
- 生命保険が拡大、浸透していく中、1910年頃互助組合をルーツに持つ共済保険組合と生命保険会社の苛烈な競争があった。
- 戦後、世界経済の在り方が変わり、よりフレキシブルに社会のニーズに対応すべく、相互会社の株式会社化が進んでいった。
相互会社と株式会社の違いは?
コのほけん!編集部
これまでのお話から、相互会社から株式会社への移行は歴史的な流れや社会からの要請、企業の経済活動の中から生まれてきたとのことですが、企業形態の観点での相互会社と株式会社の違いはどこにあるのでしょうか。
木下なつき准教授
相互会社と株式会社の大きな違いは、「会社の所有者」です。
株式会社は株主が会社の所有者ですので、株主の意見が会社の意思決定に反映されます。一方、相互会社の場合、「保険の契約者」が会社所有者になるため、契約者の意見が意思決定に反映される性質を持っています。
存在目的という観点での違いもあり、株式会社の場合は、株主の利益追求が至上命題であるのに対し、相互会社の主は保険契約者ですので、そちらの利益追求が存在目的となります。
相互会社形態だからこそ働くインセンティブもある
木下なつき准教授
株式会社の場合、利益が出ると株主に配当金という形で利益が還元されますが、相互会社の場合、利益配分を受け取るのは「契約者」となります。
現在の相互会社は、巨大化しており、意思決定機関である社員総会(※この場合、社員とは「保険の契約者」)において、契約者が意見を出したからと言ってそれがすべて反映されるというものではなくなっています。一方で、利益が出た時に配当金として利益を受け取ることができるということは、同時にリスクも請け負わなければなりません。これは、相互会社に限ったことではなく、株式会社の場合も、出資者である株主は出資した範囲で金銭的リスクを負うことになっていますが、相互会社の場合は、契約者がリスクを負担する構図になります。
日本では平成7年の保険業法改正により、相互会社における契約者の損失負担はなくなりましたが、元々の相互会社の原理に立ち返ると、契約者が損失を負担することは悪い側面ばかりでないと私は考えています。
契約者が損失を負担するということは、そこに、できるだけ損失を小さくしようというインセンティブが契約者にも働くと思うのです。なるべくコストを下げたいという心理はあるわけです。
グローバルな金融資本主義や日本で言うバブル経済の価値観では、極端に言うと、お金をどんどん使うことが美徳で、例えば好きなだけお酒を飲み、不摂生する、でも保険を掛けているからまあいいや、と言う感じのライフスタイルが支持されてきました。それに対し、近年は批判的な意見も出てきていますよね。環境に対してだけでなくライフスタイルやお金の使い方に関してもエコロジカルな消費者が現れてきています。簡単に言うと、ムダがあれば無くしていくと言う考え方を重視する人々が影響力を持ち、社会で声を上げていく、こうした価値観の変化の中で、相互扶助の精神を基盤に、リスクもベネフィットも契約者、メンバーに帰属するという相互会社の原理が見直されることもありうるのではないかと考えています。
まとめ(編集後記)
生命保険には古い歴史があることは知っていましたが、今回、保険のルーツの一つが古代ローマ帝国時代にまで遡ると初めて知り、非常に驚きました。お話を伺い改めて、保険は社会や人々の生活に密接に関わって変遷してきた事業であること、これからも人々の生活や要請にしっかりと応えながら事業を進めていくことが重要だと感じました。