不慮の事故か故意による事故(自殺)の判断をどうやってするのか?
研究のきっかけ
コのほけん!編集部
笹邉将甫准教授
私は民事訴訟を専攻しております。大学院生の頃から「証拠がない」等の理由から「立証困難な状況」に陥る当事者をどう救済するか、あるいはどのように解釈上救済していくのかという点に興味がありました。
保険の訴訟においても立証困難な状況に陥ることがありますが、どのようにして立証軽減をすればいいのかという点について、ドイツの文献を参考にして探っています。研究の成果として、ドイツの取り扱いについての論文を紹介しました。
コのほけん!編集部
ドイツと日本の法解釈に違いはありますか?日本の法体系はドイツ法寄りだとは思うのですけれど、この辺りかがでしょうか。
笹邉将甫准教授
私は、日本の法律においてドイツ法を参考にしながら、解釈や運用を検討しています。特に、立証の問題については、ドイツ法やフランス法を参考にしています。今回の保険訴訟に関しては、ドイツの法律についての紹介だけにとどめてしまいましたが、本来ならば日本法への示唆として、どのようなところを日本法で参考にすべきかを言及すべきだったと思います。しかし、研究の中で役に立つことはあると思います。特に、保険訴訟において、民事訴訟法の観点から情報の偏在を考慮しながら、立証困難な状況を解決することが多いです。
保険訴訟の場合、保険会社と受取人双方の主張において、証拠を出せないことが特徴だと感じています。証拠がない場合にどう証明するか、相手方が持っている証拠をどう取り出すかといった問題は、保険訴訟に限らず、その他の民事訴訟でも共通の課題とされています。
コのほけん!編集部
保険会社と訴訟を起こした方側どちらとも同じぐらいの情報量しかないということですか?
笹邉将甫准教授
そうですね。保険事故が発生したかどうかといった問題は、本人もあまりよくわからない場合があります。保険会社が調査をしても情報が出てこない可能性があります。その結果、情報が少ない状況が生じます。そして、このような状況で、裁判の場で証明しないといけない場合に、どの程度証明するべきかという議論になるわけですね。実は、裁判の場面では、どの程度の証明をするべきかという議論と、どのようにして手持ちの情報を提出させるかという議論、この2つの議論が重要になってきます。証拠を出すことや出させることが困難な場合、証明の程度を軽くしてしまおうではないか、という議論に流れやすくなります。
立証が困難な問題は、現代型の訴訟と呼ばれるもので、公害訴訟や医療過誤訴訟などで問題とされてきた経緯があります。たとえば工場側には多くの資料があり、統計資料や物質などがあり、こうした資料をどのように提出させるかに流れやすいですよね。ただ、保険訴訟においてはそういった資料がないことも多く、特殊な状況だと思います。
コのほけん!編集部
状況や推定で考察・検討していくような裁判になるということですか?
笹邉将甫准教授
そうですね。保険について言うと、偶然性については、保険会社が証明すべきか、保険金請求者側が証明するべきかという議論が従来からありました。この議論については、最高裁判所が結論を出していまして、平成13年の判決では、保険金請求者側が証明すべきということが確定していますが、それでも、どの程度証明するべきかという議論やどのようにして証拠を出させるかは、残された課題だといえます。そして、こうした議論の中で一つの解決策として、「一応の推定」や「表見証明」という証明手段が有効ではないかと言われることもあります。これは、難しい証明を求めるのではなく、一定の証明をすることで本来の証明を行ったものとして取り扱うものです。このように、立証が困難な現代型訴訟においては、証明の要件を下げるような手段が有効とされたり、使われたりすることがあります。
いずれにしても、こうした立証軽減法理では、「経験則」がキーワードとなります。たとえば、地面が濡れていたら、経験上、雨が降ったと考えられますが、雨が降ったということが証明できなくても、地面が濡れていたということが言えれば、経験則的に雨が降ったというような推定ができると考えられます。これを高度化したものが、いわゆる定型的事象経過と呼ばれるものです。
具体例を出すと、たとえば、止まっている船と動いている船がぶつかった事故の場合で過失が争われる場合に、自分の船は止まっていたが相手の船が動いていたのであるから、通常は動いていた船の方に何らかの過失があったのではないか、ということになりますよね。ここでは、具体的に相手の過失を積極的に証明しなくても、他の一定の事実を示すことで相手方の「何らかの過失」ということが証明できますよね。こうした、一定の事実から別の事実を推定する際に、定型的事象経過という高度の蓋然性を持った経験則が助けてくれます。
しかし、保険訴訟の場合は、定型的事象経過のようなものがあまり使えませんので、複数の間接的な事実を積み重ねながら、推定することが必要になります。これはそれぞれの事件によって異なるため、ケースバイケースで対応する必要があります。たとえば、ドイツなどでは、保険訴訟においても複数の間接事実を積み重ねながら、ある程度推定するということをしています。
ただし、交通事故のような事故の場合には、定型的事象経過のような経験則を用いた証明は有効とされており、表見証明が利用された訴訟も多くあります。こうしたテクニックは日本でももっと利用して良いのではないかな、と私は考えています。
ところで、裁判におけるこうした一連の証明テクニックは、あくまでも「推定」であり、推定が正しいかどうかは確かではないということです。自分に不利な推定をされた方としては、この推定がおかしいのではないかという反論である、反証は当然できます。そのため、仮にこうした証明テクニックを裁判の場で用いても、保険金請求者側も保険会社側も、その推定に対して反論することができるので、訴訟として当事者間のバランスが取れると考えられます。そのような推定をすることで、ある程度の証明ができると考えられるため、こうした証明テクニックを使うことも不可能ではないと考えています。
不慮の事故か故意による事故(自殺)の判断はどうやって行われる?
コのほけん!編集部
笹邉将甫准教授
私自身は大学の教員であり、実務や裁判には普段は携わっていないため、実際の裁判については回答が難しいかもしれません。
しかし一般的に言うと、自殺なのか不慮の事故なのかが争われるのは裁判について、裁判では誰が認定するのかという話になり、それは裁判官が認定することになります。
認定の仕方についてですが、最高裁において保険金請求者側に証明負担があるという決着なっているので、保険金請求者側が積極的に証拠を提出し、いろんな間接事実を積み重ねて不慮の事故だと裁判官に認定してもらうことが一般的です。もしそれができなければ、不慮の事故ではなかったと判断される可能性があります。
コのほけん!編集部
保険金請求者である遺族側はどこまで証明すればいいのでしょうか。保険金請求に関する訴訟に関する記事で、「自殺ではなかったであろう」という形で、裁判官を「確信」させた結果、自殺ではないという判決がおりたという内容を読んだことがあります。
笹邉将甫准教授
裁判で言うと、証明とは裁判官を「確信」に至らせることに成功することを指します。
具体的な数字で表現することは難しいのですが、たとえば、100%の確信に至らせることは難しいかもしれませんが、80%ぐらいにまで裁判官の心の中を動かせることができれば、証明に成功したと見なされ、裁判官が事実を認定してくれる可能性が高いといえそうです。
コのほけん!編集部
その裁判では、自殺する理由がないというような心証に裁判官がなったということでしょうか。
笹邉将甫准教授
そうですね。いろいろな状況証拠によって変わってくることもあります。たとえば、事故が起きた時にその人が通勤中だったか、仕事中だったか、自営業をしていて負債があって精神的に追い詰められていたかなどが影響します。だから、証拠を出し合って、最終的に自殺だったのか、自殺ではなかったのかを決定することが重要になります。
実際に裁判の場面においては、裁判官の前で、本来の目的である自分に有利な事実を認定してもらうことは、なかなか困難なものだと思います。つまり、直接的な証拠があって「このようなことが起きました」というような認定に至ることは、極めて稀なことだと思います。そうすると、自分に有利な事実の認定を裁判官にしてもらうべく、前段階において多くの間接的な証拠を集めることが重要になります。そして、こうした間接的な証拠と経験則から最終的な事実認定にたどり着くことができると考えられます。それが保険金の請求において証明するための一般的な方法だと考えられます。しかし、相手側からは、それらの間接的な証拠がおかしいとか、それらから最終的な事実にたどり着けないのではないかといった反論が出ることがあります。これが訴訟の場面ではありがちなことであると思われます。
コのほけん!編集部
訴訟において、故意による事故(自殺)ではないことの立証責任は遺族側が負うというのは、素人が負うには非常に難しいことですが、実際はどうなっていますか?
笹邉将甫准教授
保険については専門ではありませんが、急激かつ偶然な外来の事故という言葉があるのですが、この「偶然」という言葉の解釈について争いがあります。問題は、保険会社が証明責任を負うのか、遺族側が証明責任を負うのかということです。これは、偶然には故意を含む要素があるため、どちらが責任を負うべきなのかという問題が生じます。
たとえば、保険金請求者側に証明責任を求めると、無理を強いているのではないか、保険会社側に証明責任を求めると、証明できないことを逆手にとって保険金請求する人が出てくるのではないかなどと結論をどちらにとっても危惧が残ります。
とはいえ、平成13年に最高裁の判決が出て、保険金請求者側に証明責任を求めるということで決着しました。現在、それが裁判実務上の指針になっています。ただ、証明責任を負うことは非常に困難なことであることは知っておくべきです。
偶然による事故についての議論において、特に重要なのは、どのような解釈のテクニックを使用するかということです。裁判官の確信の度合いのレベルを下げてもよいのではないかという解釈論も出てきており、私もそう考えています。
私と同じように民事訴訟についての研究をしている他の先生のドイツ法に言及した保険金訴訟に関する文献も拝見したのですが、保険訴訟において、証明度を引き下げることで、解決することが望ましいと考えておられました。保険は、予期しない事故が起こったときに対応するためのものであるため、特に厳しい要求をすることは適切ではないと考えられます。ドイツでは、このような見方が一般的であると主張している先生もおられました。
保険会社が立証責任を負うことがある?
コのほけん!編集部
笹邉将甫准教授
裁判官が遺族側に有利な心証を持っている場合、それを保険会社側に有利なものに引き戻すために、証拠の提出が求められるかもしれません。重過失訴訟では証明責任は保険会社が求められますね。だからそうなると、もし保険金請求訴訟が提起された場合、被告側の保険会社は、証拠として提出しなければならないものを検討することになるでしょう。たとえば、自殺が原因であることを証明するようなものです。そういったことは確かではないですが、保険会社は確か事故について調査することがありますよね。
コのほけん!編集部
保険会社の場合、事故調査の担当者がいて疑わしいものについては調査するということがあります。
笹邉将甫准教授
だから、調査結果を提出することができれば、それは有力な証拠となります。また、保険会社は、免責事由にあたるかどうかを検討し、それに該当する場合は、それを積極的に提出する必要があります。ただ、これも訴訟戦略の関係があって、どのタイミングで提出するかということがあるかもしれません。しかし、被告側としては、重過失を基礎付けるような事情があったということを伝えなければならないだろうと考えます。
研究において最も問題になるのは、密室での目撃者がいない場合です。たとえば、お風呂の中で溺死された場合、それが最も問題になることになります。私も論文では最後に触れましたが、ドイツなどでは、遺体を掘り起こすこともあるそうです。あるいは、遺体の解剖を積極的に行うこともあるようです。日本は検視があり、もう一段階進んで、解剖を行うこともありますが、そこには遺族の感情もあるため、どの程度認められるかは議論の余地があると思います。ひょっとすると、こうした医学的な所見が、自殺の場合には特に重要になってくるのではないかと思います。本当に自らの手によるものなのか、他人の手によるものであるかも問題になるでしょう。私としては、場合によっては医学的な所見は裁判にとって必要かつ重要になると思います。
保険会社側から言うと、目撃者がいなく、遺書もないケースでは、事故に関する情報を列挙する必要があります。たとえば、事故現場の状況、本人の身体状況、経済状況、そして精神状態などです。そして、事実から考えた上で、重過失と認定できるのか、故意だったのかということが最終的に判断されることになります。被告、被保険会社側は、事実を答弁書などで提示することになると思われます。
まとめ(編集部)
笹邉将甫准教授にお話を伺いました。被保険者が亡くなり保険金請求の際に、不慮の事故か自殺かで死亡保険金を受け取れるかどうかが変わることがあります。そして、保険会社と訴訟になった場合、不慮の事故であることの証明責任は、保険金請求者(保険金受取人)側にあることがわかりました。保険金請求者(保険金受取人)は、自殺する理由がないという間接的な証拠を集め、間接事実を積み重ね、自殺ではなく不慮の事故であると裁判官に心証を持ってもらう必要があります。