企業リスク管理における保険の役割について
今の研究のきっかけは?
平澤敦教授
会計学科出身で、ゼミも会計のことをやっていましたので保険とは全く無縁でした。たまたま、学部4年時に、損害保険の世界的権威でいらっしゃった木村栄一先生 ※1 が、一橋大学から中央大学に着任されて、木村先生のもとで大学院進学を勧められて、大学院で海上保険の研究からスタートし、損害保険の研究に至っております。
その後、母校の中央大学で大学院の修士課程に行きました。木村先生の勧めで、一橋大学の大学院で海上保険の研究で行って、母校に戻ってきたという経緯です。
※1:Wikipedia 木村栄一 (保険学者)
保険はリスクを全て対処できるものではない
コのほけん!編集部
平澤敦教授
基本的に、損害保険はリスクマネジメントの一手段なので、リスクに対してすべて保険で対処できるわけではありませんが、保険はリスクが発現した際の個人や企業の経済的負担を軽減するツールとしてとても重要な役割を果たしています。
さらに、代替的リスク移転というものがあります。損害保険や生命保険以外にもリスク移転手段がありますので、そういった中で、費用対効果という側面からリスクに対応するさまざまな手段が、現在では存在します。
日本の場合は、リスクマネジメントの導入が、欧米に比べるとだいぶ遅れましたので、リスクマネジメントが普及したタイミングは、欧米の企業と比べると、だいぶ後のことでした。
現在は、大手の企業のみならず、中小企業でもERMといって、全社的な企業リスクマネジメントというのを取り入れています。すなわち従来型の部門別リスク管理から(サイロ型リスクマネジメント)から全社的リスクマネジメントの考え方に変わっています。
ERMについては、アメリカのCOSO2017年版※2 やISO(国際標準規格)31000-2018 ※3 が、リスクマネジメントの指針(ガイドライン)を作成しています。
※2 出典:https://www.coso.org/
※3 出典:JQA https://www.jqa.jp/service_list/management/management_system/
これはリスクマネジメントの国際標準というものではなく、あくまでもこれらを指針(ガイドライン)として活用し、それぞれの企業に見合ったリスクマネジメントシステムというものを作り上げて、その中で保険の活用も当然考えられることになります。
企業のリスクマネジメントで重要視されているのは、最近では特に気候変動に関連する自然災害や大規模災害のリスクをどうやって移転や軽減させるかというところで、そこでは保険が有効に活用されていると思います。
たとえば、Swiss REいうスイスの再保険会社やAONが定期的にレポートを出していますが、規模が大きい損害について、実際は、保険があるにも関わらず、無保険の企業が多いというデータもありますので、保険を有効に活用していくことを考える余地が十分あると思っております。
回避・軽減・保有・移転の観点からリスクコスト(cost of risk)を検討する
コのほけん!編集部
平澤敦教授
保険の授業を受講している学生は、何らかの保険にお世話になっているはずですが、実際は保険というものをそこまで身近に感じていないように思います。
教えている学部が商学部ということもあり、どちらかというと、学生はマーケティングや経営への興味が強く、その中で、リスク管理をどうするかということが問題になります。
繰り返しになりますが、リスクはなんでも保険に転嫁できるわけではありません。そのため保険をかけるものについての検討が必要です。たとえば、リスクマップ(リスクマトリックス)を作成して、移転すべきリスクを洗い出し、それ等のリスクに対して保険が有効なツールとして活用できるか、無保険であった場合のコストと、保険をかけた場合のコストを比較しながら慎重な検討が必要です。
保険に入っていれば、なんらかの損害が発生した時に、企業にとって経済的負担というのが軽減されますので、その費用に見合ったリスク対策という観点から、保険を活用することによって、その企業がかかえるリスクを移転することが可能となります。
リスクに対しては、定性的評価と定量的評価という2つの側面があり、それらの評価に基づいて、リスクコスト(cost of risk)を踏まえて保険という手段を活用すべきかどうかということを、企業の(リスク)マネジメントの一部として考える必要があります。
企業リスクは、リスクマネジメントの観点からすると、回避・軽減・保有・移転の観点からリスクコストをふまえて、慎重に対処方法を考えなくてはなりません。
想定されるリスクの種類はもちろん企業の事業内容によってさまざまですが、そのうち企業(事業者)向けの保険があるものについては、包括的にカバーする保険に付保するのか、個々のリスクに対してカバーする保険を活用するのかがポイントとなるでしょう。
家計(消費者)向けの保険と異なり、B to Bの保険であれば、リスクに対する情報の非対称性は、それほど存在しないと考えられるでしょうが、サイバーテロや役員代表訴訟などのようなリスクについては、その顕在化によって企業が被る損害額は巨額に上るおそれがあるがゆえに、企業側が求める補償ニーズに見合った保険カバーと保険者(会社)側の提供する保険カバーとに乖離が生じないよう、補償内容の十分な把握と理解が肝要です。
企業規模に対するリスク管理の違いとは?
コのほけん!編集部
平澤敦教授
大企業の場合には、特に日本企業の場合を考えると、欧米に比して訴訟になった時にはそれほど大きな損害賠償額というものが請求される可能性は低いかもしれません、欧米の場合には、損害賠償額が数百億という巨額にのぼるものもあります。
役員代表訴訟であればいわゆるD&O保険 ※4 が対応していますし、今、サイバーテロの問題も増えてきていますので、サイバーテロ等の新しいリスクが顕在化することによって、企業が抱えるリスクも巨額化・複雑化するおそれがありますが、もちろんその損害額や損害賠償額を企業にとって大きな問題になります。そのほか、いわゆるブランドのレピテーション(企業の評判)のようなリスク(ブランドの毀損)にも対応しなければなりません。
大企業にとっては、リスクの顕在化による損害賠償額ないしは被害額が巨額になる場合がありますので、そういったリスクに対応する保険が必要になってきます。
そういったことを考えると、やはり企業向け保険は必要不可欠ですし、技術革新やITの進展、さらには新しい事業、たとえば、宇宙事業等の新規事業には、やはり、最先端分野のリスクに対する保険の必要性も高まります。
特に大企業の場合には、想定されるリスクが多種多様ですので、今後も大小さまざまなリスクに応じた保険の多様な役割が望まれます。
※4 D&O保険とは会社役員賠償責任保険のことで、Directors and Officersの略です。 役員としての業務に起因して負ってしまった損害賠償責任を補償する保険です。
※出典:三井物産インシュアランス https://www.insurance.ne.jp/reports/cat1/2021/002497.html
企業向け保険ですので、 家計分野と違って保険料も高額に設定されることになりますが、リスクが県債化した場合に損害額ないし被害額というのも非常に高くなりますので、リスクに応じた保険料ということになります。
そういったことを考えると、やはり企業向け保険は十分必要だと思います。また、最近では新しい事業、例えば、宇宙事業等の新規事業を踏まえると、やはり、最先端分野のリスクに対する保険の必要性も企業の事業内容によっては出てくると思っています。
特に大企業の場合もそうだと思いますが、新しい技術などでビジネスに伴う、そのリスクの高さに応じた新たな保険の種類が必要となってくると思います。
中小企業は、全社的というよりもその事業内容によってかなりリスクが限定されます。そういった限定的なリスクについて、先ほども指摘した通り、やはり、リスクコスト(risk of cost)、費用対効果という側面で、どのように保険を活用するかということになります。
中小企業も、規模は大企業と同様でないために、リスクの大きさは大企業ほどでもないとはいえ、大企業と同様のリスクにさらわれることも想定されます。
コのほけん!編集部
大企業と中小企業のニーズの違う点とは?
平澤敦教授
保険のニーズということで考えると、大企業であれ、中小企業であれ、その事業に適した多様な保険が、各社からかなり多岐にわたって販売されますので、それぞれのリスクの性質に見合った保険ニーズというものを考える必要があります。
事業の規模やその事業の特性に見合ったリスクというのが、 それぞれの事業、性質に応じて洗い出されるでしょうから、それに合わせたリスク対応っていうのが必要になってきます。
企業の規模が大きくなれば、リスクもそれに比して大きくなるでしょう。大企業・中小企業ともに、リスクの大きさということを念頭に保険商品をチョイスしなければなりません。
損害保険業界の展望は?
コのほけん!編集部
平澤敦教授
今はFinTechやInsurTech等の新しい技術が導入されていますので、今後は、たとえば、契約の前に企業との保険契約はペーパレスというところに、いっそう視点が向けられるのではないかなと思います。
これは何も企業だけではなくて、消費者向けの保険でもそうですけれども、保険の簡素化、契約の簡素化ですね。
他にも、補償ニーズに見合った保険の提供というのがあります。
新技術に伴って、保険ニーズを拾い、AI等FinTechを活用して、win-winの関係にする、シナジー効果を発揮させるということです。契約者と保険会社との間にあった情報の非対象性というものをなるべく少なくすることによって、保険会社はその企業のニーズに見合った補償を提供し、ユーザー側は保険会社の提供する保険商品をより有効に活用できるという側面が出てくると思います。
これまでは、保険が複雑であったがために、どうしても、ユーザーと保険会社との情報の非対称性ができてしまっていました。
もちろん、保険会社は、契約者サイドの補償のニーズについて十分把握していると思いますが、契約者サイドは、その保険の補償内容を十分に理解しているとは言い難いと思います。契約者側の理解が十分ではないといったギャップを、FinTech、InsurTechといった技術を活用することによって埋めていき、保険契約にかかる問題も解決されていくのではないかと考えます。
そのため、新しい技術でよりユーザーフレンドリーな補償が提供できるようになれば、企業であれ、消費者であれ、今まで以上に保険を活用することができるのではないでしょうか。
企業向けであれ、家計向けであれ、「万が一のときに」、保険は経済的な損害を補償(保障)する、いわば「必需品」として機能的・有効的ツールとしてきわめて重要な役割を今後も果たし続けるものです。
人類の叡智の結集かつ時代を映す鏡といわれてきた保険は、リスクの多様化・複雑化に呼応して、持続的発展を今後も遂げていくでしょう。
まとめ(編集部後記)
企業のリスクマネジメントにおいて、「保険」はリスク管理のためのひとつの手法でしかないことや、リスクの内容によっては保険にリスクを移転できるとは限らず、「回避・軽減・保有・移転」の4つの観点からリスクコスト(cost of risk)をふまえて考える必要があることがわかりました。また、企業規模に応じて、何が大きな損害となりえるのか等も考えていく必要があるようです。