「保険」と「リスク管理」について
武蔵大学経済学部で金融論、リスクマネジメント論を中心に指導をされている茶野努教授に「保険とリスク管理」をテーマにお話を伺ってきました。
先生にとって、保険を一言で表現すると、どのようなものでしょうか?
茶野努教授
リスクマネジメントの伝統的な基本ツールということでしょうか。これは保険をどう定義するかにも関わってきます。
研究のきっかけは?
コのほけん!編集部
茶野努教授
大学の時、当初、私は将来銀行員になりたいという希望があり、政府のさまざまな審議会等で活躍され、金融論の大家である蠟山昌一先生に師事しました。
就活の際に、保険会社の人のほうが優しい雰囲気で、人当たりもよい方が多く、自分はどちらかというと、銀行より保険会社が向いていると思い、住友生命に入りました。その時に、銀行はよく研究されているけれども、保険についてはあまり研究されていないので、機会があったら研究したらどうかということを蠟山先生が仰いました。
その後、住友生命が住友生命総合研究所というのを作りまして、その時に立ち上げのメンバーとして配属になりました。金融調査部で、銀行や保険を含めて金融について研究していくということが、保険の分野の研究を始めたきっかけになります。
コのほけん!編集部
大学で教えることを選ばれた理由はなんですか?
茶野努教授
研究所における研究成果を二冊の本にして出版したあと、リスク管理統括部に配属になり、しばらくリスク管理の仕事をしていました。
45歳という節目と、ちょうど早期退職制度の対象の年だったので、自分自身のキャリアについてどうしていこうかと考えました。
このまま会社で勤め上げるか、それとも、もっと研究を深めて、学生の指導をしたいのかをよく考えました。九大で客員助教授として学生さんたちと接した楽しい経験もあり、会社であと10年、15年いるよりは、むしろ、大学に進んで研究をさらに進め、教員として若い学生に指導していくという道が、自分にとって人生の選択としていいのではないかと思い大学に転職しました。蠟山先生はすでにお亡くなりになっていましたが、きっと喜んでいただけたと思っています。
コのほけん!編集部
大学で教えていて、学生さんたちの反応はいかがですか?
茶野努教授
武蔵大学の学生は基本的に真面目なので、言ったことはきちんとします。ただ、どちらかというと、少々自発性に欠けているようなところがあります。まず自分で研究テーマを見つけなさいということをしつこく言います。
学生というのはやはり興味のあることは意欲を持って取り組むことができますよね。
例えば、ゲームやスポーツ、クラブ活動というものはできるのだけど、勉強の興味は、正直なところあまりないわけです。
学生といろいろ話をしていくうちに、何に興味があるのかというところで話を広げることができます。
印象深い学生がいました。ビットコインが出始めた時に、ビットコインの研究をしたいということを言い出しました。当時、ビットコインが始まったばかりだから、じゃあ、それをちょっと研究してみようということになりました。
ビットコインを切り口に何かしら話をしているうちに、金融や保険を含めて興味をうまく引っ張り出すと、本人はやる気を持って自発的に研究していくことができるようになります。
武蔵大学は、「ゼミの武蔵」と言われていまして、ゼミの教育を重視しています。ゼミ大会というものがあり、そこで順位がつきます。優勝、準優勝、順位なしなどですね。
私のゼミは例年、準優勝、優勝という成績をあげています。学生本人たちも、議論しながらやった研究成果が社会人OBOG、教員に認められて優勝という評価を得ることによって、自信につながります。この好循環を見るのは、教える方としてもとても面白いことです。
私が興味ない分野でも、学生が気づきを持って研究をするので、私自身の勉強にもなり、いい相乗効果があります。ビットコインもそうですが、コモディティの研究を始めたのも学生の気づきでした。学生と一緒に研究できるのは、大学に来ての大きな成果と言えます。
「リスク」が「統計で処理できる範囲のもの」であれば、すべて「保険」になる
コのほけん!編集部
茶野努教授
基本的には、すべてのリスクは「統計で処理できる範囲のもの」であれば、すべて保険になりえます。
だから、一番わかりやすいのは、 原子力の保険ですね。
原子力保険は損保の会社が取扱いしていますが、あれは保険か?というと、かなり保険ではないといえます。
あるいは、地震保険は保険か?と問われると、かなり保険からは遠いところにあります。
保険から何が遠いのか?というと、統計的なデータの安定性があるかどうか、リスクが保険の対象になるものか、ということになるわけですね。
たとえば、いまは気象衛星が発達し、台風の進路も高い精度ももって予測できます。したがって、被害をコントロールできます。しかし、東日本大震災を見てわかるように、地震の発生メカニズムはわかりつつあるものの、何パーセントの確率で地震が起こりうるかはわからないわけです。
生命保険、損保の自動車保険、火災保険はその辺の確率を含めたデータがはっきりしているから保険として扱えるわけです。
そうでないものは、保険としてはなかなか扱いにくいわけです。だけど、科学技術が進歩していけば、地震のようなリスクも全て、本当の意味での保険の中に取り組むことができるということになります。
統計的に把握できるかどうかということが保険の対象になるかならないかということなので、基本的には、先ほど申し上げたように、すべて統計的にはっきりとしたデータが得られて、リスクを管理できるのであれば、それは保険の対象になるというのが私の考えです。
生命保険と損害保険のリスクは違う
コのほけん!編集部
茶野努教授
1つ申し上げておきたいのですが、生命保険と損害保険のリスクは、何が違うのかということが重要です。
さまざまな見方があると思いますが、大きな見方の一つとして、保険契約の長さ(保険期間、保障期間)だと思います。
生命保険で、終身保険は30年、40年の長さにわたることがあります。ところが、損害保険は、1年更新が基本です。自動車保険にしても火災保険にしても基本は短いです。
そうすると、リスクの大きさとしては、契約期間が長い方が不確実なことが起こりうることになります。
したがって、リスクとしては、生命保険の方が基本的には大きいわけですね。
損害保険の場合、1年おきに更新ですので、その都度、プライシング(保険料の再計算)がされ、そのたびにリスクの洗い替えができます。
生命保険の場合は、一旦引き受けたリスクを持ち続けるということになります。これは保険会社側から見たらそうなのですけども、お客さんの側からすると、それだけ守ってもらっている範囲は、生命保険が長い、損害保険は短いということになります。
繰り返しになりますが、生命保険は契約期間が長いのでリスクが大きい、損害保険は契約期間が短いのでリスクは小さいということになります。
契約期間が長いのか短いかによってどういうようなリスクに接するのかという違いも出てきます。
生命保険の場合は契約期間が長いため、当然資産の運用期間も長くなります。そうすると、資産の運用リスクも当然高くなってきます。
損害保険の場合は、契約期間が短いので、生命保険ほど長く運用する必要もないし、リスクを取ってリターンを上げるため運用期間を長くしてもいいのですが、あえてそれをする必要もありません。
したがって、契約期間の長さ、長短によってそれに伴う資産運用のリスクが変わってくるということになります。
一方、生命保険の死亡リスクというものは、地震やコロナで死亡率はあまり変わらなかった。大きな変化がない限り、死亡率は安定しています。
自動車保険も火災保険も、事故率は安定しています。つまり、保険自体のリスクは、そんなに振れないというか変わりません。
ただ、心配なのは損害保険会社の場合です。今、気象条件が大きく変わってきていますので、たとえば火災保険や自動車保険の支払い対象事故が多くなっています。
自然災害のリスクは、損害保険会社の方が短期的に大きくなる可能性があります。ただ、それはプライシングで対応できるので、損保の場合はすぐにお客さんに転嫁できます。すなわち、お客さんの側からすると、高い保険料として跳ね返ってくるということになります。
お客さんにとっては損害保険の場合はリスクが顕在化すると、高い保険料としてはね返ってくる。ところが、生命保険の場合はリスクが顕在化しても、それが高い保険料としては直接はね返ってこないという特性があるといえます。
やはり、ポイントは契約の長短ということになると思います。
コのほけん!編集部
10月の火災保険料率の見直しも一連の流れということでしょうか。
茶野努教授
そうですね。これだけ地球温暖化の影響で異常気象になってくると、火災保険はますます今後上がっていくでしょうし、だから、損保の加入者の方からすると、対応をしていかないといけない。今一番気にしなければいけないのは、気象変動のリスクだと思います。
自動車保険であれば、自動運転ですね。この自動運転の技術がどれくらい進化するかという点です。皆さんよく言われているように、そのうち自動車保険はいらなくなる日がくると思います。
自動運転の場合はプログラミングのミスとか、そういうことがない限り、事故は多分起こらなくなってくる。この20年の間にも、自動車保険っていうのは、大きく変わるだろうと思うので、損保の方が生保よりは商品の変革が大きいと思います。
コのほけん!編集部
InsurTechの活用において、損害保険の方が盛んで、生命保険はなかなか進まないという印象があります。
茶野努教授
どちらかというと、損保の方は、銀行業界の人に近く、国際的な活動もしています。だから、ヨーロッパなど世界各国に拠点があるので、グローバルなものの見方をしていると思います。
生保の方は日本国内で完結してしまうことが多いため、グローバルなものの見方はあまりしないので、デジタルな動きなどについていく速度は、損保に比べると、遅いというのはやむを得ないと思います。
もう1つは、生命保険の商品は、デジタルに乗りにくいという点があります。
生命保険は、販売の時に、エージェント(営業)の人の関与の度合いが強い傾向があります。
生命保険は保険料に含まれるマージンの部分が大きく、エージェントの果たす役割が大きい。販売のプロセスが損害保険と比べて全然違うので、InsurTechの活用はなかなか進まないと思います。
新しい先進的な技術については、やはり損害保険業界は受け入れるのが早いと思います。
リスク管理の開示にしても、損害保険業界はすごく積極的です。ヨーロッパ基準で全部やっています。生命保険業界もやっていこうとしていますが、どちらかといえば、積極的にというよりは、損害保険業界もやっているので、生命保険業界もやろうかという後追い的な側面がなきにしもあらずですね。
そういうところに経営の姿勢が現れてきます。それは、国際的な市場に接しているかどうかというのが大きな違いだと思います。
消費者はどんなデータを参考にして保険会社を選ぶべき?
コのほけん!編集部
茶野努教授
ソルベンシー・マージン比率があります。基本的にはソルベンシー・マージン比率を見て判断すれば、正直な話、財務諸表を見るよりもいいと思います。財務諸表は分かりにくいと思います。
ソルベンシー・マージン比率は金融庁に提出している資料なので、それを1つの基準にされるといいと思います。
あと、もう1つは保険会社の規模です。
やはり、大きな保険会社の方が潰れにくい傾向があるので、ソルベンシー・マージン比率を見ることとその保険会社の企業規模や資産規模なんかを見ることが一番いいと思います。
コのほけん!編集部
保険会社の規模を見るということは、スケールメリットや規模でリスクが分散されるからということでしょうか。
茶野努教授
そうです。バッファー(余裕)があって、リスクの分散もできます。
大きな保険会社であれば、リスクを分散できますが、小さな保険会社だと、リスクを過度に保有してしまうと、それを分散することができません。何らかの大きなインシデント(予測できないリスク)があった時に、パタンと折れて倒れてしまうということが起こり得ます。
特に生命保険の場合は長期保険になるので、やはり規模の大きな生命保険会社の方が潰れにくいと思います。
商品で見るのも1つではありますけれども、健全性とか潰れないという安心度というものを見てみる、規模を見るのも1つの大事なところかと思います。
コのほけん!編集部
国内生保や外資系生保がありますが、そこはあまり関係ないのでしょうか?
茶野努教授
そうですね。外資系と言っても、もうほとんど国内生保と違いがないと思います。商品が大きく違うということもないし、売り方は若干違うところはありますが、資本が外国か日本なのかという区分けは単純に意味がないと思います。
保険の大事なところのひとつは、保険会社とお客様との間に入る人の重要性にあると思っています。
お客さんの分からないものをいかに分かりやすく説明して、購入してもらうか、営業職員でも代理店でもそうですが、そういうところが1番重要な商品なので、生命保険会社とお客様の間に立つ人たちの重要性が大きい市場だと思います。そのため、国内か外資かという視点よりは、セールス担当の人や営業員や代理店の果たす役割で見た方がいいと思います。
リスク管理における保険の課題とは?
コのほけん!編集部
茶野努教授
先ほど、少し申し上げたように、気候変動と自動車の自動運転の問題、これがどう進むかというのが、非常に重要だと思います。
生命保険の場合は、いろんな商品を出すのだけれども、結局、終身保険に定期保険をつけるというオーソドックスな形をどれだけイノベーションできるかにかかっていると思います。
住友生命の健康増進型保険という健康をチェックし、健康になったら保険料が割引になるというものがありますが、生命保険は、損害保険ほど革新的なことはできないように考えています。
革新的に進むだろう損害保険業界に対して、生命保険業界は保守的に今まで通りという構造はあまり変わらないと思います。
リスク管理についても、生命保険業界は従来通りのままで、損害保険業界は気候変動などリスクプロファイルが変わっていく中で、どのようにリスク管理を対応させていくかということになると思います。
コのほけん!編集部
技術革新というところで、今は自動車メーカー自体が自動車保険事業に乗り出しているというニュースがありました。
※参考:自動運転時代、自動車メーカーによる保険の提供が当たり前に?
茶野努教授
それはありだと思います。ありだという意味はどういう意味かと言いますと、製品保証ですよね。
炊飯器を買ったら、その炊飯器メーカーがその製品の保証をしますという話と同じです。
自動運転の車をトヨタが作りました、日産が作りましたとなった時に、損害保険会社が補償するよりは、自動運転の車という商品の製品保証だから、自動車メーカーが自動車保険を売るというのは十分あり得ると思います。
自分達が作った製品であるので、当然自分達が自動車のことを一番理解しているわけです。それに対して製品保証をつけますよということはあり得ると思います。
そうなってくると、損害保険会社も1番主戦上の自動車保険のマーケットの変化が大変なことになると思います。
自動車を買った時に製品保証となるので、代理店の関わり方も大きく変わってきますよね。自動車販売店としての代理店という形がより強固になってくると思われます。ちょっとどうなるのかよく読めないですけれども、面白い動きだと思います。
コのほけん!編集部
茶野先生が今一番、関心を持って取り組まれているものはなんですか?
茶野努教授
今は、自動車保険の問題がどうなるかというのが一番気になっています。損害保険会社は自動車保険に依存している体質がどういう風に今後変化していくかという点です。自動車保険の分野の研究をしているところです。
編集部後記
学生と一緒に研究することで、自分自身の勉強になり、いい相乗効果がある、大学に来ての大きな成果だと語る茶野努教授。特に、学生さんとのエピソードをお話しされるときは、非常に楽しそうで印象に強く残りました。
生命保険と損害保険のリスクの違い、保険会社を選ぶ時のポイント、Insur Techの動向など幅広く、様々な角度からお話を伺うことができました。