死亡保険金の受け取りを受取人が放棄した場合にどうなるか?
今の専攻を志されたきっかけは何ですか?
偶然のきっかけが重なっています。
法学部は弁護士に憧れて志望しました。
その後、尊敬していた先輩がいたゼミに入りましたら、そこが「商法」を扱うところでした。
勉強しているうちにのめり込み、志を研究者に変えて大学院に進学。進学後、指導教授の勧めもあり、保険法を中心に研究することになりました。
先生にとって、保険を一言で表現すると、どのようなものでしょうか?
将来の安定を買うこと、だと思っています。
相続放棄すると、最初から相続人ではなかったことになる
コのほけん!編集部
広瀬裕樹教授
相続人は、相続を放棄することができます。ただし、いつでもどこでもできるわけではありません。期間・方式が法定されていまして、相続が開始したことを知ったときから原則3ヶ月以内に、家庭裁判所に必要な書類を揃えて申し出て、受理してもらう必要があります(民法915条、938条)。
民法915条、938条の条文
(相続の承認又は放棄をすべき期間)
第九百十五条 相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。
(相続の放棄の方式)
第九百三十八条 相続の放棄をしようとする者は、その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。
相続を放棄すると、その方は、初めから相続人とならなかったことになります(民法939条)。
民法939条の条文
(相続の放棄の効力)
第九百三十九条 相続の放棄をした者は、その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなす。
相続の放棄は、亡くなられた方(被相続人)に多額の債務があり、相続する財産で支払いきれない場合に、その債務から逃れるために行われることが多いように思われます。他方で、亡くなられた方と縁を切りたいという場合に用いられることもあるようです。
コのほけん!編集部
ちなみに、統計としてあればなんですけれども、 相続放棄はどのくらいの割合で発生するのでしょうか?
広瀬裕樹教授
正確な割合は分かりませんが、裁判所が受理した件数でしたら、司法統計年報の中で公表されています。ここしばらく増加傾向にあり、令和3年は25万件を越えました。少ないとはいえないと思います。
保険金受取人が相続放棄しても保険金請求権は残る
コのほけん!編集部
広瀬裕樹教授
相続を放棄しましても、死亡保険金請求権は残ります。
死亡保険金請求権は、被保険者が亡くなられたときに被保険者の財産から相続として引き継がれる性質のものではなく、保険金受取人が指定された時点で、遺産から離脱してその保険金受取人の固有の財産になると考えられているためです(最高裁昭和40年2月2日判決)。
理屈は少し難解ですけれども、死亡保険と相続は、契約者と受取人が相続の関係者となることが多いために混同しがちですが、制度的には、必ずしも重なるものではない、ということが分かれば理解しやすいかもしれません。
自分にもしものことがあった場合に家族に保険金を残す意図で死亡保険に加入する場合は、通常、保険契約者兼被保険者と保険金受取人は相続の関係にあります。
しかし、その家族が「同性のパートナー」だった場合は、現状では相続関係になりません。生命保険は、相続と重なることが多いですが、あくまで別の制度なのです。
そして保険をこのような制度と位置づけることによって、多額の債務を負った者であっても、子らにまとまったお金を残す道が残されることになるわけです。
コのほけん!編集部
保険会社のコールセンターでは「保険金受取人を家族からペットにしたい」とご希望になる方がいて、海外では可能であるというお話も耳にしています。ただ、保険会社としては「ペットは人間ではないため、保険金受取人にはご指定できません」と回答しているようですが、このあたりは日本ではまだまだ議論されていないという認識でよろしいでしょうか。
広瀬裕樹教授
あまり議論されていないですね。
日本では、そもそもペット、動物は権利の帰属主体ではありません。
ペットのために相続財産を残したいという気持ちはわかります。その方法はないわけではありません。例えば、ペットのために「法人」を作り、そこに保険金を支払ってもらう、といったことが考えられます。ただ、ペット自らが自分の意思でお金を使う、ということはありえませんから、結局、そのお金を管理する誰かが必要となります。そうなりますと、その誰かにどう管理してもらうかが重要であって、ペット自身が保険金を受け取れるかどうかはそれほど重要なことではないのですね。というわけで、今のところ、保険金受取人にペットを指定できると変わっていくことはないと思われます。
保険金の受け取りを放棄(拒否)することと、相続放棄は別のもの
コのほけん!編集部
広瀬裕樹教授
先に述べましたことでお分かりと思いますが、死亡保険金請求権の放棄と相続放棄は別のものになります。亡くなられた方の債務から逃れるために相続を放棄した方は、多くの場合、死亡保険金は放棄せず、受け取られるのではないかと思います。
まれに、受け取りを拒否されるような場合もあるようです。その上でさらに、死亡保険金請求権を放棄するという意思が確定的に示された場合に、その請求権は消滅します。
この場合、保険金が支払われないまま保険契約は終了すると考えるのが、現状では、裁判例の趨勢(すうせい)です。
ただし、放棄の意思を保険会社が確認することは決して容易なことではありません。
といいますのは、相続だけでなく保険金請求権まで放棄をするというのは、亡くなられた方と縁を切りたいという場合が多いであろうと思われるためです。
そのような場合ですと、保険金受取人は、関わりたくないと考えるでしょうから、保険会社が放棄の意思を確認しようとしても、協力的に振る舞うことはせず、ただ「受け取らない」という態度を継続するのみということになるでしょう(後述の平成27年判決は、まさにそういう事案でした)。
このことは、この問題の適切な対応を考える上では、厄介な問題の一つです。
コのほけん!編集部
死亡保険金はみなし相続財産で非課税枠がありますが、このあたりの扱いはどうなりますか?
広瀬裕樹教授
相続としての民法上の扱いと、相続財産に対する税金の扱いはまた別になります。
相続放棄しているけれど保険金という財産は残せるように、相続財産と保険は別物として分けてなんとかお金を残せるように考えられていますが、税金はこの考え方とはまた別の視点で捉えているところがあるので、扱いが違ってきます。
保険金の受取放棄(拒否)することで請求権は消滅する
コのほけん!編集部
広瀬裕樹教授
死亡保険金の受け取りが拒否された場面で、訴訟に発展することは相当のレアケースです。保険会社にしてみれば困るでしょうけれども、だからといって、受け取らせるために保険会社の方から裁判を提起する、ということはできないからです。
保険会社としては、保険金請求権が時効で消滅することを待つことになるのではないかと思います。
受け取らせるように訴えることはできませんが、支払わせるように訴えることはできます。つまり、この場面で裁判になるとすれば、その放棄された保険金請求権の分をこちらに支払え、という人物が別途存在している場合になります。実際に裁判になった事案は2例しかありませんが、いずれも、そのようなパターンでした。
1例目である大阪高裁平成11年12月21日判決の事案は、死亡保険金受取人として、保険契約者兼被保険者Aの子Bが指定されていたケースです。
Aの死亡後、Bを含むAの子全員が相続を放棄し、Bは死亡保険金請求権も放棄しました(詳しい背景事情は、裁判の記録からは分かりません)。Aの両親は既に死亡していたため、Aの兄弟姉妹5名が相続人となりました。そこで、Aの兄弟姉妹が、放棄された保険金はA自身に支払われることになるはずだから、相続財産に含まれ、相続されることになるはずだとして、保険金の支払を保険会社に求め、裁判を提起したわけです。
第一審の京都地裁も、第二審の大阪高裁も、放棄により保険金請求権は消滅し、Aに帰属するようなことはないとして、その訴えを退けました。
2例目である大阪高裁平成27年4月23日判決の事案は、死亡保険金受取人として法定相続人と指定されていたところ、その相続人である子3名のうち、2名のみ、相続放棄をして、かつ、保険金の受領も拒絶したケースです。
相続放棄をしていない子1名が、残り2名分の保険金も自らに支払って欲しいと裁判を提起しました。その論拠として、放棄された保険金は相続財産に含まれ相続される、という先ほどと同様の主張に加え、様々な主張がなされています。
ただ、結局のところ、第一審である神戸地裁尼崎支部も大阪高裁も、先ほどの裁判例と同様に、放棄により保険金請求権は消滅しているとして、訴えを退けました。
この裁判例の考え方に対して、学者からは批判の声が多く上げられています。その中核にあるのは、放棄された分の保険金を、結局、保険会社が取得するようになることに対する違和感です。保険契約者の意思を推認するに、そのような場合には保険金を自分や別の者に支払うような結論となるよう考えるべき、というのです。
一方で、この裁判例に賛意を示す見解も少なくありません。
放棄された分の保険金を契約者自身や別の者に支払うためには、被保険者死亡時に遡り保険金支払事務を巻き戻し的にやり直すことになりますが、遡求的な効果をもたらす法律上の根拠は明確には存在しませんし、また、支払のやり直しは保険会社に大きな負担を強いることになりかねないためです(放棄した方が後に気が変わり支払を求めてきた場合に、さらにまた支払のやり直しをすることになるのか、という厄介な問題もあります)。
ですので、放棄された分の保険金は保険会社が取得するようになるが、時効消滅した場合と同様に、仕方がないこととして割り切ろうというわけです。
学者の中での賛否は拮抗していますが、裁判所の判断はおそらく変わらないものと思います。裁判所は、救済されるべき被害者が存在する場合には、論理的には無理をしてでも結論を変えようとすることがありますが、この場合には、「救済されるべき被害者」は現われないでしょうから、裁判所が、法的根拠が乏しいところを理屈に工夫を凝らしてまで、結論を変えるとは考えにくいからです。
保険金請求権の放棄(拒否)の法整備はされない見込み
コのほけん!編集部
広瀬裕樹教授
法整備はされていませんし、また、今後しばらくはされないと思います。
元々がレアケースですので、法律を整備しなければならない必要性がそれほど高まっていないためです。また、ルールを設定しようにも、学者の中で意見が割れており、良い法案のアイデアがまとまっているわけでもありません。
自衛的な手立てとしては、保険会社の方で、約款中に放棄の場面を想定した定めを入れておくことが考えられます。
例えば、放棄された分は契約者自身に帰属することにしたり、あるいは、放棄された分は消滅します、と定めておくことです。
また、先に述べましたように、放棄の意思を確定的に判断することは容易ではありませんので、放棄の場合の手続きを所定したり、保険会社が催告の上で一定期間応じなかった場合には放棄があったものとみなすという定めを約款に定めておくことも考えられます。
とはいえ、約款を変更しなければなりませんから簡単なことではありませんし、また、そもそもが将来の話となります(その変更した約款が適用される契約においてのみ)。
現状では、保険会社の側としては、指定された保険金受取人が権利を放棄するような者かを事前に調査し、察知することは現実的に不可能でしょうから(プライバシーに踏み込むという意味では不適切でもあるかと思います)、放棄がなされた場合に適切に対応するしかありません。
その場合には、前述の裁判例を盾に取り、放棄された分は消滅したものと扱うか、放棄の意思が確定的に確認できない場合は、時効消滅を待つことにするのが無難でしょう。仮に裁判になったとしても、上記の裁判例と別の結論が下される可能性は小さいからです。
これに反し、任意にどなたかに支払をするのは避けるべきでしょう。相続関係のもつれに巻き込まれかねず、二重払いのリスクを負った上で、かえって難しい裁判に巻き込まれかねないためです。
一方で、保険契約者の側としても、現状では、権利放棄にまつわるトラブルを事前に回避する効果的な手立てはなく、一般的な対策、つまり、保険金受取人の指定には慎重を期す、ぐらいしかないように思います。
裁判例の傾向に従えば、放棄されると、その分につき、払い込んだ保険料が丸々無駄になるわけです。ですから、そのことを認識した上で、それも覚悟の上で保険金受取人を指定するか、あるいは、放棄しないような保険金受取人を指定するか、です。
なお、保険金受取人の指定に条件を付けることは、法的には禁止されていませんから、放棄された場合には別の者を保険金受取人とするように指定することは許されないことではありません。しかし、条件付きの指定は、一般的には行われていませんし、また、放棄の意思の確認が難しいために、保険会社側が相当の難色を示すものと思われますから、現実にはスムーズに事が進まない可能性が高いです。
さらに、遺言で保険金受取人を変更することは可能ですから(保険法44条)、放棄した場合は別の者に保険金受取人を変更するように遺言を残すことも、アイデアとして考えられます。しかし、条件付きの遺言は、適切に記述しないと無効となってしまう危険性がありますところ、この場合における適切な記述が確立しているわけではありません。かえって混乱の種になりかねませんから、お勧めはできません。
そういうわけですので、保険金受取人の指定には慎重を期すというのが、結局のところ一番無難な手立てとなるかと思います。
まとめ(編集部後記)
愛知大学の広瀬裕樹教授に保険金受取人が保険金の受け取りを放棄した場合にどうなるかという点と相続放棄との違いについてお話を伺いました。
保険金受取人が保険金請求権を放棄する事態はよほどのことで、裁判になった事例も2つしかないレアケースですが、保険金受取人の指定は慎重になるべきであるということも、お話を伺ってよく理解できました。
自分自身の万が一に備えて家族のために保険金を残すのであれば、有効に活用してもらえるよう、日頃から家族関係も大事にしていきたいところですね。
ポイント
- 相続の放棄とは、初めから相続人ではなかったことになることで、保険金受取人の保険金請求権の放棄(拒否)とは別のもの
- 保険金受取人が相続人の場合、相続の放棄をしても、保険金請求権は放棄されない
- 保険金受取人が保険金請求権を放棄(拒否)した場合、放棄された分の保険金は保険会社に残り、保険会社は保険金請求権が時効で消滅することを待つしかない
- 放棄された分の保険金は、第三者(保険金受取人以外)に支払われることはなく、判例上では、放棄により保険金請求権は消滅、保険会社が取得するものとして扱われている